あれから10年~「あらかわ1」追悼の旅(その3)~
(その1)はこちら→ https://twkgallery.exblog.jp/28177775/
◆2020年7月19日、国道140号の山梨県との境・雁坂トンネル手前にある「彩甲斐街道 出会いの丘」へとやって来た私は、そこにある「あらかわ1墜落事故殉職者慰霊碑」の前に立ち、両手を合わせてその慰霊碑を見上げた。
そして、10年前にこの慰霊碑の先にある深い谷の底に、まるで吸い込まれるように落ちて行ったJA31TM「あらかわ1」と5名の搭乗員の方々の無念さを思い、目を閉じて深く頭を下げた。

10年前の2010年7月25日、私が百里基地で航空祭を観ていたその時、あらかわ1はこの奥の尾根の向こうで、両側を断崖で囲まれた深く狭い沢の上でホバリングしながら、ホイストで救助隊員をその狭くて深い谷底へ降下させようとしていた。
要救助者は前日夕刻に8人のグループで沢登り中に滝つぼに転落。同行メンバーが気付くのが遅れ、携帯の通じない深い谷であることも重なり警察に救助要請をしたのは一夜明けた25日朝。この時点ですでに心肺停止となっていて、助かる見込みはほぼ無かったと考えられるが、後になって思えばこれがその後関係者を次々と巻き込んで行く「死の連鎖」の始まりであった。
救助要請があればとにかく救助に向かう。それが防災航空隊の任務だ。あらかわ1は5名の救助隊員を乗せて埼玉県川島町の埼玉県防災航空センターを飛び立ち、現場に近いこの「彩甲斐街道出会いの丘」ヘリポートで秩父消防山岳救助隊の2名を乗せ現場上空へ向かった‥‥‥。
事故の詳しい様子は運輸安全委員会の航空事故調査報告書に生々しく記述されているが、これを読むたびに防災ヘリの機長歴14年のベテラン機長が、ほんの一瞬のミスでコントロール不能となって狭く深いその谷底に落ちて行くイメージが、その時の機長の無念さと共に私の脳内に拡がり、やるせない気持ちで一杯になる。
その現場は両側を切り立った岩壁で囲まれた深く狭い谷。両側を木々に覆われ谷底を視認できるポイントはごく僅かしかない。
そのポイントであらかわ1はホバリングしながらホイストで救助隊員2名を谷底へ降ろそうとするが、隊員が安定して着地できる平らな場所はごく狭い岩の上のワンポイントのみ。
あらかわ1はゆっくりと慎重に救助隊員を降ろしていくが、あと数メートルで着地というところでそのポイントから僅かに下流側にずれていたので、上流側へ移動を開始した直後のことだった。
あらかわ1の特徴的な「キ―――ン」というフェネストロンの音が「バララララ―――ッ」という打撃音に変わり、あらかわ1は機体を激しく振動させ始めた。
「しまった!!」
その瞬間まで、ホイストで降下させている隊員を狙った位置に降ろすことに集中していた機長は、何が起こったのかを瞬時に理解した。
だが、その時はもうすでに遅かった。
フェネストロンが木の枝に接触し、テールローターブレードを失ったあらかわ1はコントロール不能となり、岩壁に激突しながら狭い谷底へまるで吸い込まれるように落ちて行った―――。
この時の機長の無念さは、察するに余りある。
この事故の直後から、この事を思うといたたまれない気持ちになってしまう私であったが、その忌まわしい事故から10年が経ち、ようやくこの慰霊碑の前に立ち、手を合わせて機長以下5名の殉職者の方々、そしてJA31TM「あらかわ1」の冥福を祈ることができた。
特に機長―――本当に無念だったでしょうが、どうか安らかにお眠りください。

▲2007年9月2日 埼玉県加須市での防災訓練に参加した時に撮影したJA31TM「あらかわ1」
というわけで、これで私の気持ちもようやく一区切りがついた‥‥‥と、一旦はそう思えたのだったが、ここでまた10年前の不可解な「死の連鎖」のことを思い出してしまったのだ。
前に書いたとおり、7月24日に55歳の女性が沢登り中に滝つぼに転落・死亡した事故が発端となり、これに関係した人が次々と事故死するという出来事が続いたのだ。
その2件目がこのあらかわ1の墜落事故だったが、その約3時間半後に何とも不可解な死亡事故が現場のすぐ近くで起こっていた。
ヘリ墜落現場近くで別の男性が滑落? 搬送先で死亡 秩父
25日午後2時30分ごろ、埼玉県秩父市大滝の沢で、頭を負傷した男性が倒れているのを、県防災ヘリ墜落の救助で現場に向かっていた県警山岳救助隊員が発見した。
発見時、男性は重体だったが、搬送先の病院で死亡が確認された。
秩父署によると、男性は尾根に沿って歩いていた際に、沢に滑落したとみられる。
尾根から沢までの高低差は約50メートルだった。
秩父署によると、男性は30~40代で黒色のポロシャツに水色のズボンをはいていた。
男性が発見された現場は、ヘリが墜落した現場から約100メートルのところだった。
このニュースは当時あまり大きく取り上げられてはいなかったが、あまりにも謎が多すぎてこの一連の「死の連鎖」を一層ミステリアスなものにしてしまっている。
この転落死した男性は一部では有名な山岳ブロガーで、この1年前の2009年7月16日に北海道大雪山系で起きた「トムラウシ山大量遭難事故」(8名が死亡)について批判的な記事を自身のブログで展開していた人物で、その『甲 武 相 山 の 旅』というブログは、この転落死の前日・2010年7月24日の投稿を最後に更新が止まったまま10年経った現在も閲覧することができ、まるでこの男性の魂がまだこの世を彷徨っているかのようだ。
あらかわ1の墜落事故の救助活動のため沢伝いに現場へ向かっていた救助隊員が倒れている男性を発見した時、彼は自分の名前を名乗り「50m位上から落ちちゃいました」と語ったという。
この男性がなぜあらかわ1の墜落現場のすぐ近くに居たのかその目的は全く不明だが、奥多摩~奥秩父を自分のフィールドとしていたこの男性が、たまたま近くを登山していて上空のヘリの多さなどから事故があったことを察し、現場に近付こうとしていて滑落した可能性は高いと考えられる。
この男性がなぜあらかわ1の墜落現場のすぐ近くに居たのかその目的は全く不明だが、奥多摩~奥秩父を自分のフィールドとしていたこの男性が、たまたま近くを登山していて上空のヘリの多さなどから事故があったことを察し、現場に近付こうとしていて滑落した可能性は高いと考えられる。
いずれにしても、1年前の大量遭難死事故に深く関わっていた人物がここで自らも命を落としてしまっていることは何とも因縁めいているが、これがこの「死の連鎖」の3件目であって、この後も4件目、5件目と連鎖は続くのである。
まずは、あらかわ1墜落の一週間後に、事故現場の取材に向かった日本テレビの記者2名が墜落現場から約2km下流の沢で死亡しているのが発見されたのだ。
この件はニュース等でも大々的に取り上げられたので覚えている方も多いかと思うが、同行の山岳ガイドに止められて一旦は現場行きを諦めたものの再度二人のみで入山し、翌日に墜落現場下流の「直蔵淵」と呼ばれる地点の下流で死亡しているのを発見されたのだ。
これが4件目の死亡事故になるが、これもまた謎が多すぎる不可解な出来事であった。
二人の死因は「溺死」ということだったが、なぜこの場所で水死したのか全くわからない。
そしてこの現場の「直蔵淵」は地元では「死人淵」とも呼ばれ、昔から遭難事故が多発している難所だという情報もあり、ますます謎めいてきて「呪われた」という言葉がふさわしいような状況となってくる。
そしてあらかわ1墜落事故の2ヵ月後、まさに「呪われた」としか言いようがない事故が起こってしまう。
2010年9月26日、朝日航洋の所有機・JA6935(AS332)が屋久島で資材運搬中に山中に墜落、搭乗していた2名が死亡するという事故が起こってしまうのだが、このJA6935こそが、この2週間前の9月11日に奥秩父の墜落現場からあらかわ1の機体を引き上げたヘリだったのである‥‥‥。

ここまで死の連鎖が続くと、誰もが「呪われている」と感じるだろう。
この私もその一人で、この不可思議な出来事の数々についてネット上で情報を漁りまくった時期があり、その中で信憑性の高いものから明らかにガセネタと思われるものまで、数多くの情報を入手できたものの、最終的には「これ以上深入りしても無駄」という結論に達し、いつの間にか忘れかけていたのだったが、この慰霊碑の前に来て、またそれを思い出してしまっていた―――。
慰霊碑のもとを離れ、周りの風景に目をやるとすぐ下に豆焼橋の赤い橋梁が見えていた▼

あの豆焼橋を渡ると左に登山道入り口があって、そこから深い山の中を歩き続ければあらかわ1が落ちた場所へ辿り着ける‥‥‥そう、10年前にネット上を漁って入手した情報は、今でも頭の中にしっかりと入っている。
私は出会いの丘駐車場にクルマを停めたまま、まるで何かに呼び寄せられるようにその豆焼橋へと歩き始めていた。

高低差は100mはあるだろう。高所恐怖症の私は目が眩んでそのまま下へ吸い込まれそうな感覚に襲われる。落ちたら間違いなく即死――― それも案外楽かもしれない、などと変なことを考える。

▲深い谷の向こうには、黄色い橋梁の雁坂大橋と山梨県へ通じる雁坂トンネルの入り口が見える。


建設工事にあたっては、恐らく何人もの労働者の方が命を落としているのではないかと想像される。

10年前、墜落現場へ地上から向かった救助隊もここから現場へ向かったはずだ。
そして、あの日テレの記者二人もここから現場へ向かったのだが、二度と帰らぬ人となってしまった‥‥‥。

▲その道の入り口にはたくさんの立て看板があり、この先は転落事故等が多いので注意するよう入山者に呼びかけていた。

私の他に人の姿はまったく見えない。本来なら私はこういう大自然の中で一人っきりで歩く状況というのは大好きなのだが、今回は何故だか大自然を満喫するという爽やかな気分とは程遠い雰囲気であった。
このあたりは標高1000mを越える場所であり、本来ならば涼しさを感じるはずなのに、何だかモワッとした空気が肌にまとわりついてくるような感じで汗が噴き出してくる。
そういえば10年前のあの日、百里基地で航空祭を観ていた時もこんな空気があたりを覆っていたのを思い出す。


▲「奥秩父トンネル電気室」と書いてあるが、字体はまるでホラー映画に出てきそうな感じだ。
横にある奥秩父トンネルに電力を供給している設備なのだろうが‥‥‥不気味すぎる。

▲その先には柵がされていて通ってはいけないという雰囲気だが、その横をみんな通り抜けている形跡が。まだ歩き始めたばかりなのでここで引き返すわけにはいかない。

不安な気持ちを掻き立てられるが、私はさらに山奥へと歩き続ける。

▲左側は谷へ向かって急斜面が続き、右側の急斜面の上の方には今にも落ちてきそうな岩の数々が‥‥‥ 右も左も斜面の角度がきつく、危険がいっぱいだ。
もう嫌な予感しかしなくなってきているのでここで引き返そうとも思ったが、もう少し、もう少し視界が開ける所まで行ってから戻ろうという気持ちの方が強く、私は先に進むことにした。
右の斜面の上から岩が落ちてこないことを確認しながら、足早にこのポイントを通り抜ける。
とにかくこの辺りの地形は斜面がきつく、深い谷ばかりという感じだ。
そして、さらに奥へと進むとガードレールもなくなり、道の脇がそのまま遥か下にある沢へと続く断崖絶壁になっている箇所が多く見られるようになってくる。


▲その行きつく先の沢の岩盤をズームアップして撮っていると、ふとそこに吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥った。
もしここで足を滑らせてしまったら‥‥‥私もあの日の山岳ブロガーと同じように、ここで命を落としてしまうに違いない。
今まさに死と隣り合わせの場所にいることを実感した私は、ふと我に返ってこう思った。
「これ以上深入りするのは危険だ。ここで引き返そう」
今思えば、10年前にこの辺りで不可解な事故が立て続けに起こった後、私はそれぞれの事故の背景などについて深入りしすぎてしまっていた。
あらかわ1の墜落直前の状況やその時の機長の無念な気持ちを我が事のように想ってみたり、あの山岳ブロガーがなぜ墜落現場から100mの所で転落したのかを知りたくて、残されたブログを隅々まで読んでみたり、日テレ記者たちがなぜ直蔵淵という曰くつきの場所で水死してしまったのか、手がかりを得るためにネット上で情報を探し続けたり‥‥‥ まさに深入りしすぎていた。
そしてこう思った。これ以上彼らが命を落とした場所に近付くと、私も彼らの居る世界に呼び寄せられてしまうかもしれない―――と。

▲引き返す決断を下した場所で撮った一枚。画像に残された情報を見ると、奥秩父トンネルの横からこの道に入った時から10分ほどしか経過していないことに驚かされた。
私の感覚では30分以上歩いたような気がしていたのだが‥‥‥。
あらかわ1の墜落現場はこのずっと右の方にあり、この位置からはその手前の尾根さえも拝むことはできなかった。

それはまるで「憑き物が落ちた」とでも例えることができるようなスッキリとした感覚であった。
思い返せば、この登山道入り口から現場へ向かって歩き続けている間、原因の判らない「落ち着かない感覚」が続いていたのだけど、それは「私の行動を誰かが何処かからずっと見ている」という「気配のようなもの」だったことに気が付いた。
私はこの豆焼橋のたもとで振り返り、現場へ続く道に再び目をやった。
そして改めて、登山道入り口にたくさん並んだ立て看板の一つをよく見ると―――

ああ、一年前に「呼ばれてしまった」人が居たんだね‥‥‥合掌。
私ももう少し深入りしていたら、この人と同じ運命になっていたのかもしれない‥‥‥。
出会いの丘駐車場に戻った私は、慰霊碑の前で再び手を合わせ、帰路についた。

もしもあの時、現場へと続く道の途中で引き返さず、さらに「深入り」していたら‥‥‥
登山道入り口の立て看板が一つ増え、そこにはこんな風に書かれていただろう。
2020年7月19日午後、出会いの丘駐車場に
車を駐車したまま登山道に入って行方不明に
なっている人を探しています。
◇年齢 60代 男性
◇身長 179cmくらい
◇服装 黒のポロシャツにズボン
◇持ち物 カメラ(ソニー製)
―――(完)―――
というわけで、【あれから10年~「あらかわ1」追悼の旅 シリーズ~】はこれで終わりです。
今回はお盆の時期にふさわしく?心霊モノっぽい内容になりましたが、実際にこの奥秩父の渓谷は「霊界」の入り口的な何かが存在しているような、不思議なパワーを感じました。
昔からここで無念の死を遂げた数多くの人々の怨霊が今も彷徨い続け、近寄る人を引きずり込もうと手ぐすね引いて待っている―――そんな感じでしょうか。
何ごとも「深入り」はほどほどに―――
by twk-kosaka
| 2020-08-17 22:41
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